
「声がしない。――小さいのがどうかしたんだな」
赤鼻の老拱(ろうきょう)は老酒(ラオチュ)の碗を手に取って、そういいながら?を?の方に向けて唇を尖らせた。
?皮阿五(らんひあご)は酒碗を下に置き、平手で老拱の脊骨をいやというほどドヤシつけ、何か意味ありげのことをがやがや喋舌(しゃべ)って
「手前は、手前は、……また何か想い出してやがる……」
片田?の (ろちん)はまだなかなか昔?で、どこでも大概七?前に?を?めて寝るのだが、夜の夜中に睡(ねむ)らぬ家が二?あった。一つは咸亨(かんこう)酒店で、四五人の?友?が?台(スタンド)を?んで?みつづけ、一杯?嫌の大はしゃぎ。も一つはその?の?四嫂子(たんしそうし)で、彼女は前の年から後家になり、?にも手?(たよ)らず自分の手一つで?糸を?ぎ出し、自活しながら三つになる子を?っている。だから?くまで起きてるわけだ。
この四五日糸を?ぐ音がぱったり途?えたが、やはり夜更になっても睡らぬのはこの二?だけだ。だから?四嫂子の家に声がすれば、老拱等のみが?きつけ、声がしなくとも老拱等のみが?きつけるのだ。
老拱は叩かれたのが?上(むしょう)に嬉しいと?え、酒を一口がぶりと?んで小?を?々と唱いはじめた。
一方?四嫂子は (ほうじ)を抱えて寝台の端に坐していた。地上には糸?が静かに立っていた。暗く沈んだ灯火の下に の?を照してみると、桃のような色の中に一点の青味を?た。「おみ?(くじ)を引いてみた。 もしてみた。?も?ませてみた」と彼女は思いまわした。
「それにまだ一向利き目が?えないのは、どうしたもんだろう。あの何小仙(かしょうせん)の?へ行って?せるより外はない。しかしこの?の病?も昼は?く夜は重いのかもしれない。あすになってお日?が出たら、?が引いて息づかいも少しは?になるのだろう。これは病人としていつもありがちのことだ」
?四嫂子は感じの?い女の一人だったから、この「しかし」という字の恐ろしさを知らない。いろんな?いことが、これがあるために好くなり?ることがある。いろんな好いことがこれがあるためにかえって?くなり?ることがある。夏の夜(よ)は短い。老拱等が面白そうに歌を唱い?ると、まもなく?が白み初(そ)め、そうしてまたしばらくたつと白かね色の曙の光が?の隙?から射し?んだ。
?四嫂子が夜明けを待つのはこの?他人のような?なものではなかった。何てまだるっこいことだろう。 の一息はほとんど一年も?つような?さで、?在あたりがハッキリして、天の明るさは灯火を?倒し、 の小鼻を?ると、?いたり窄(すぼ)んだりして只事でないことがよく解る。
「おや、どうしたら好かろう。何小仙の?で?てもらおう。それより外に道がない」
彼女は感じの?い女ではあるが心の中に?断があった。そこで身を起して?箱(ぜにばこ)の中から?日 して?め?んだ十三枚の小 と百八十の をさらけ出し、皆ひっくるめて衣套(かくし)の中に押?み、 をして を抱えて何家(かけ)の方へと一散に走った。
早朝ではあるが何家にはもう四人の病人が来ていた。彼女は四十仙で番号札を?い五番目の?になった。
何小仙は指先で の?を?ったが、爪先(つまさき)が?さ四寸にも余っていたので、彼女は内心畏敬して は助かるに?いないと思った。しかしなかなか落ちついていられないのでせわしなく?き始めた。
「先生、うちの は何の病いでしょう」
「この子は身体の内部が焦げて塞がっている」
「?いますまいか」
「まず二服ほど?めばなおる」
「この子は息苦しそうで小鼻が?いていますが」
「それや火が金(かね)に?(こく)したんだ」
何小仙は皆まで言わずに目を?じたので、?四嫂子はその上きくのも羞(はずか)しくなった。その?何小仙の向う?に坐していた三十余りの男が一枚の?方?を?き?り、?の上の字を一々指して?明した。
「この最初に?いてある保?活命丸(ほえいかつめいがん)は?家?世老店(こかさいせいろうてん)より外にはありません」
?四嫂子は?方?を受取って?きながら考えた。彼女は感じの?い女ではあるが、何家と?世老店と自分の家は、ちょうど三角点に当っているのを知っていたので、?を?ってから家(うち)へ?るのが?序だと思った。そこですぐに?世老店の方へ向って?き出した。
老店の番?もまた爪先を?く伸ばしている人で、悠々と?方?を眺め悠々と?を包んだ。?四嫂子は を抱いて待っていると、 はたちまち小さな手を伸ばして、彼女の?の毛を攫(つか)み?中になって引?った。これは今まで?たことのない だから、?四嫂子はそら恐ろしく感じた。
日はまんまると屋根の上に出ていた。?四嫂子は?包(くすりづつみ)と子供を抱えて?き出した。 は?えず藻?いているので、路は果てしもなく?く、行けば行くほど重味を感じ、しようことなしに、とある?前の石段の上に腰を卸すと、身内からにじみ出た汗のために著物(きもの)が冷(ひや)りと肌に触った。一休みして が睡りについたのを?て?き出すと、また支え切れなくなった。するとたちまち耳元で人声(ひとごえ)がした。
「?四嫂子(あねえ)、子供を抱いてやろうか」
?皮阿五の声によく似ていた。ふりかえってみると、果して?皮が寝不足の眼を擦りながら後ろから跟(つ)いて来た。こういう?に天将の一人が降?して一臂(ぴ)の力を添える事が、彼女の希望であったのだろうが、今?みもしないで出て来たのがこの阿五将だ。しかし阿五には一片の侠?があって、 どうあっても世?しないではいられないのだ。だからしばらく押?答の末、遂に?されて、阿五は彼女の乳房と子供の?に臂(ひじ)を?入(さしい)れ、子供を抱き取った。一刹那、乳房の上が温(あたた)く感じて彼女の?が真赤にほてった。二人は二尺五寸ほど?れて?き出した。阿五は何か?しかけたが?四嫂子は大半答えなかった。しばらく?いたあとで阿五は子供を返し、昨日友?と?束した会食の?刻が来たことを告げた。?四嫂子が子供を受取ると、そこは我家の真近で、向うの家の王九?(おうきゅうま)が道端の?台に腰?けて?くの方から?しかけた。
「?四嫂子(あねえ)、 はどんな工合だえ、先生に?てもらったかえ」
「?てもらいましたがね、王九?、?女は年をとってるから眼が肥えてる。いっそ?女のお眼?(めがね)で?ていただきましょう。どうでしょうね、この子は」
「ウン……」
「どうでしょうね、この子は」
「ウン……」
王九?はいずまいをなおしてじっと眺め、首を二つばかり前に振って、また二つばかり横に振った。
家(うち)へ?ってようやく?を?ませると、十二?もすでに?ぎていた。?四嫂子は?をつけて?子を?た。いくらか?になったらしいが、午後になってたちまち眼を?き
「?(マ)……」
と一声言ったまま元のように眼を?じた。睡ってしまったのだろう。しばらく睡ると、?や鼻先から玉のような汗が一粒々々にじみ出たので、彼女はこわごわさわってみると、?(にかわ)のような水が指先に粘りつき、あわてて小さな胸元でなでおろしたが何の?もない。彼女はこらえ切れず泣き出した。
は息の平?から?に?じた。?四嫂子の声は泣声から叫びに?じた。この?近?の人が大?集(あつま)って来た。?内には王九?と?皮阿五の?(るい)、?外には咸亨の番?さんやら、赤鼻の老拱やらであった。王九?は?四嫂子のためにいろいろ指?をして、一串(ひとさし)の を?き、また腰?二つ、著物五枚を抵当(かた)にして?二?借りて来て、世?人に出す御?の支度をした。
第一の は棺桶である。?四嫂子はまだほかに?の耳?と金著(きんき)せの?簪(かんざし)を一本持っているので、それを咸亨の番?さんに渡し、番?さんが引受人になって、なかば?金、なかば?で棺桶を一つ?い取ることにした。?皮阿五は横合いから手を出して「そんなことは一切乃公(おれ)に任せろ」と言ったが、王九?は承知せず、「お前にはあした棺桶を舁(かつ)がせてやる」と凹(へこ)まされて、阿五はいやな?をして「この?婆め」といったまま口を尖らせて突立っていた。そこで番?さんがこの役目を引受けて?になって?って来た。棺桶はすぐに仕事に?らせたから夜明け前に出来上って来るとの返辞。
番?さんが?って来た?には、世?人の?は?んでいた。前にも言った通り七?前に?餐を食うのが の?わしだからだ。?(みな)は家へ?って寝てしまったが、阿五はまだ咸亨酒店の?台(スタンド)に凭れて酒を?み、老拱もまたほがらかに唱った。
ちょうどその 四嫂子は寝台のへりに腰を卸して泣いていた。 は寝台の上に横たわっていた。地上には糸?が静かに立っている。ようやくのことで?四嫂子の?交りの宣告が?りを告げると、
(まぶた)の?が?れ上がって非常に大きくなっていた。あたりの模?を?ると?に不思?のことである。あったことの凡(すべ)てがあったこととは思えない。どう考えてみても?としか思えない。凡てが皆(みな)?だ。あした?めれば自分は寝床の中にぐっすり睡っていて、 もまた自分の?(そば)にぐっすり睡っている。 が?めれば一声「?(マ)」と言って、活きた?、活きた虎のように跳ね起きて?びにゆくに?いない。
?の老拱の歌声はバッタリ歇(や)んで咸亨酒店は灯火(あかり)を消した。?四嫂子は眼を っていたが、どうしてもこれがあり得ることとは信ぜられない。?が?いて?の方が白みそめ、?の隙?から白かね色の曙の光が射し?んだ。
白かね色の曙の光はまただんだん 色(ひこうしょく)を?わした。太?の光は?いて屋根の背を照し、?四嫂子は眼を ったままぽかんと坐っていると、?を叩く音がしたので、 (びっくり)して急いで?を?けた。?外には?知らぬ男が、何か重そうなものを背中に背?って、後ろには王九?が立っていた。
おお、彼は棺桶を舁いで来たのだ。
半日?りでようやく棺桶を?(ふた)することが出来た。?四嫂子は泣いたり眺めたり、何がどうあろうとも?することを承知しない。王九 は面倒臭くなり、?いにはむっとして、棺桶の?(そば)から彼女を一思いに引剥がしたから、そのお?でようやくどたばたと?することが出来た。
しかし?四嫂子は彼女の に?して?にもう出来るだけのことをし尽して、何の不足もなかった。
きのうは一串の を?き、また午前中には四十九?の大悲?を?き、?棺の?にはごく新しい晴れ著(ぎ)を著せ、ふだん好きなおもちゃを添え――泥人形一つ、小さな木碗二つ、ガラス瓶二本――枕?(まくらべ)に置いた。あとで王九?が指折り数えて一つ一つ引合せてみたが、何一つ手落ちがなかった。
この日?皮阿五は丸一日来なかった。咸亨の番?さんは?四嫂子のために二人の人夫を雇ってやると、一人が二百と十文大?で棺桶を舁いで共同墓地へ行って地上に置いた。王九?はまた煮焚きの手?いをした。おおよそ手を?かした者と口を?かした者には皆御?を食べさせた。
太?が次第に山の端に落ちかからんとする色合いを示すと、?を食った人?も?えず家に?りたい?色を示した。そして?局皆家に?った。
?四嫂子はひどく眩?(めまい)を感じ、一休みすると少しは好くなったが、?いてまた なことを感じた。彼女はふだん出遇わないことに出遇った。有り得べきことではないがしかも的?に?れた。想えば想うほど不思?になった。――この部屋がたちまち非常に森(しん)として来た。身を起して灯火(あかり)を点けると室内はいよいよ静まり返った。そこでふらふら?き出し、?を?めに行った。?って来て寝台の端に腰?けると、糸?は静かに地上に立っている。彼女は心を定めてあたりを しているうち居ても立ってもいられなくなった。室内は非常に静まり返った、のみならずまた非常に大きくなった、品物が余りになさ?ぎた。
非常に大きくなった部屋は四面から彼女を?み、非常に?さ?ぎた品物は四面から彼女を?迫し、遂には喘ぐことさえ出来なくなった。
はたしかに死んだのだと思うと、彼女はこの部屋を?るのもいやになり、灯火(ともしび)を吹き消して横たわった。彼女は泣いているあの?のことを想い出した。自分は?糸を?いでいると、 は?(そば)に坐って茴香豆(ういきょうまめ)を食べている。?目?ちの小さな眼を瞠(みは)ってしばらく想い?(めぐ)らしていたが、「?(マ)、父(ちゃん)はワンタンを?ったから、わたしも大きくなったらワンタンを?るよ。?ったら?っただけみんなお前に上げるよ」といった。あの?はわたしも?ぎ出した?糸がまるで一寸々々皆意味があるように思われた。一寸々々皆生きていた。
だが?在どうであろう。?在のことは 彼女に取っては何の想出(おもいで)の?ともならない。――わたしは前にも言ったが、彼女は感じの?い女だ。感じの?い女に何の想出があろう。ただこの部屋は非常に静かだ。非常に大きい。非常にガランとしているとだけ、感じればそれでいいのだ。
しかし感じの?い?四嫂子も魂は返されぬものくらいのことは知っているから、この世で に逢うことは出来ぬものと?めて、太息(といき)を?らして独言(ひとりごと)をいった。
「 や、わたしの?に?われておくれ、お前はやっぱりこの土地に残っていてね」
そこで眼をつぶって早く眠って に会おうとすると、自分の苦しい呼吸がこの静かなガランドウの中を通?するそれがハッキリ?こえた。
?四嫂子は遂にうつらうつらと?路に入(い)った。室内は全く森?とした。
この?、?の赤鼻の小?がちょうど?りを告げた?で、二人はふらふらよろよろと咸亨酒店を出たが、老拱はもう一度喉を引?って唱い出した。
「憎くなるほど、可?いお前、一人でいるのは淋しかろ」
「アハハハハハ」
?皮阿五は手を伸ばして老拱の肩を叩き、二人は笑ったり押合ったり揉み苦茶になって立去った。
?四嫂子はもう睡ってしまった。老拱等が出て行ったので咸亨酒店は店を?めた。この ?は全く静寂の中に落ち、ただこの暗夜が明日(あす)に成り?ることを想わせるが、この静寂の中にもなお奔(はし)る波がある。?に?つかの犬がある。これも暗?に?(かく)れてオ?オ?と啼く。
底本:「?迅全集」改造社
1932(昭和7)年11月18日?行
※「旧字、旧?名で?かれた作品を、?代表?にあらためる?の作?指?」に基づいて、底本の表?をあらためました。
その?、以下の置き?えをおこないました。
「愈々→いよいよ 大凡→おおよそ 却って→かえって 位→くらい ?れ→くれ ?く→ごく 此→この 而も→しかも ?く→しばらく 其→その ?かに→たしかに 只→ただ 忽ち→たちまち 丁度→ちょうど て戴く→ていただく て仕舞う→てしまう 何?→どこ 尚ほ→なお 中々→なかなか 殆んど→ほとんど 先づ→まず 亦・又→また 未だ→まだ 丸で→まるで ?→もら ?く→ようやく」
※底本は?ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学?子テクスト研究会入力班(加藤?介)
校正:京都大学?子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年3月21日作成
青空文?作成ファイル:
このファイルは、インタ?ネットの ?、青空文?(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表?について
このファイルは W3C ?告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め?みました。
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